遠城 早苗 1971年 4月15日 生
夫婦羊蹄(羊蹄山と尻別岳)が望める自然豊かな麓の町で、国家公務員で世間体が気になる心配性の父と、
我慢ん強く世話好きで、ちょっとがさつな母の1男2女の末っ子として産まれ育ちました。
両親とも働いていたので、口数がすくなく芯の強い祖母が私の面倒をみてくれました。
恥ずかしがりやで本を読んだり塗り絵をするのが好きでしたが、
半面、畑や野山で遊んだり、近くの公園のブランコに乗りながら、大きな声で歌を歌うのが一番すきで、
保育園の卒園の時に書いた将来の夢は「歌手」でした。
小学校の全校生徒は18人。
生徒も先生もみんな、
それどころか、その地位全体が家族のような環境で、周りに見守れながらのびのびと育ちました。
中学生になり、部活動でバレーボール部に入部し、僻地から通うのが大変ため寮生活をしていました。
そのせいもあり、両親とほとんど会話することもなくなり、土日も部活優先で、家に帰ってもすぐ寮へ戻るという生活をしていました。
親の監視がなく自由でしたが、思春期ということもあり親と話すのがどんどん苦手になっていきました。
本当は学校や部活動のことなど、たわいもない話を聞いて貰ったりして、甘えたかったのですが、
素直に出来ない自分の歯がゆさを部活にぶつけていました。
高校から親元を離れ札幌の高校に進学したかったですが、親に猛反対にあい、泣く泣く地元の高校へ。
すっかりやる気も無くなった私はバレーボールだけが、唯一の希望でした。
1990年 3月高校卒業
晴れて札幌に就職がきまり家をでました。
当時はバブル真っ盛りの時代、
入社したのは中堅ゼネコンでした。ちょっとバブリーOL生活を経験。
その後2年位でバブル崩壊。
次に就職した会社は超がつく位地味な管財屋さんの事務で、
今までオーダーメイドで制服を作ってくれた会社から、少しほつれているのもお構いなしで、使い回しのボロボロの制服を与えられる会社へ。
そのギャップに心がついていけませんでした。
そのころ、大失恋を機に100万円のローンを組んでエステサロン通いをする。
また、その好きだった彼の勧めでネットワークビジネスを始めるも、上手くいかず、
借金地獄に陥り、昼は事務、夜は水商売のバイトをすることに。
この頃 私はこんなに頑張っているのに、なんで私ばかり、こんな辛い思いするのか?頑張っているのに空回りばかりで、
辛くて辛くてと、思っていたら、全身に蕁麻疹がでて、水商売はすぐやめちゃいました。
1992年 合わない事務仕事に見切りをつけ、
大好きだった化粧品ブランドへ、めでたく社員として入社することができました。
この会社のブランド名やコンセプトが大好きで、それが、今の私のベースをつくっているのは間違いありません。
それはラテン語で『 自ら 』と言う意味のブランド名。
お肌には自らで元気になろうとする力があり、
それを引き出すコンセプトで作られたのがそのブランドのコスメ、
そして その人、それぞれにあわせたお手入れ方法とエレメンツを提案していくというブランドでした。
入社後、駅前の百貨店に配属になり、3回くらい地下鉄に吸い込まれそうになるほどの、
先輩からのいじめにもあったりもしましが
そのブランドが好きで、やっとの思いで入れたので、絶対に辞めたくない!と、乗り越えることができました。
心がズタズタになるまでの思いをしましたが、5年後、中堅と呼ばれる位置になり、キャリアアップの勉強に励んでいましたが、
いじめ先輩のことを会社が問題視するようになり、その先輩自ら退社することになるのですが、
そのことに、勝手に私も責任を感じてしまい、私も退社することを決意しました。
そのころ通っていたエステで、当時まだ知られていなかっアロマのトリートメントをやっていて、
立ち仕事でむくんでいた足がかなり楽になり
「アロマって凄い!」って思い、将来そのアロマを使って美容が出来たら最高だなって、夢を描くようになりました。
そんな時、そのエステの社長から、引き抜きの話を頂き、私の夢の話をを共感してくれ、自分で開業するのは大変だけど、そこでなら夢を描けるかも?
と感じ、「トータルビューティーサロン」の夢をそのエステで叶えようと、希望でいっぱいでした。
ところが、入ってみると現場で美容の指揮をするなど真っ赤なうそ! 美容機器やエステの勧誘がおもな仕事でした。
しかも、入社してすぐに社長の悪事が発覚。
アロマセラピストの専務と営業の社員と私3人で独立し、アロマテラピーサロンを立ち上げ、今度こそは夢を果たし、エステ社長を見返すんだ!
という思いで、寝る間も惜しんで、サロンの発展に力を注ぎました。
3人で立ち上げたサロンは2年で3店舗を運営できるほど発展しましたが、いつの間にかアロマセラピストの専務の家族経営の会社に変貌。、
かなりブラックな働き方を強いいられ、立ち上げから辛い思いをしながも、会社のために尽くしてきたのに、裏切られた喪失感で、ストレスと体力の限界を感じ退社。
1999年 夏
ブラックエステ会社から身を隠すように、夜の世界へ。
ホステスとして働きながら、「女性たちを元気に美しくしたい!」
という夢はあきらめきれず、独学でアロマの勉強をしました。
それと同時に精神力も強くしたく、一番苦手だった走ることにもチャレンジ
(いまではフルマラソンやウルトラマラソン、トレイルもはしれるようになりました)
2008年 AEAJのアロマセラピストの資格を取得したのを機に
『アロマ&Beautyサロン Sanatio』を開業し、
アロマで自然治癒力を高め、身体の中から元気に美しくをコンセプトに
アロマテラピーとメイク、トータルビューティーで提案できるサロンを目指していました。
お客様のトリートメントをしていくなかで、、
「もっと、お客様の体の状態を感じ取れるようになりたい」
と、思うようになり、
「チャネリングがで、体の声をきけたら、もっとお客様のことがわかるのでは?」と感じチャネリングの勉強をしました。
また、サロンを運営していくなかで、勉強の必要性を感じ、たくさんの自己啓発セミナーや脳科学と潜在意識の勉強などをしました。
チャネリングの勉強をして、アロマで体を整える事にちからを注いでも、たて続けに、お客様達をガンを患っているのが発覚しているのに、
何の役にも立てなかった自分の無力差に絶望し、
「体の根本から改善し、元気になれる事」を探し求めました。
そこでみつけたのが、”ボデイワーク”です。
このボデイワークは自分自身の体を知るワークです。
一つの動きを通して。
「今、自分がどのように動いているのか?」を観察する。
その事が、思考や感情によっても癖付けられている事を知ることができます。
そして、心と体の感覚をを育てることによって、より快適に身体の機能を高めます。
自分で自分の事を知って、気付く事ができるから、根本からの改善へ繋げる事ができます。
このボデイワークと出会って、またチャネリングという技術を得たことで、私自身の体を通して、
本来の目的へと、人生をシフトすることができました。
体は自然そのもので、自らの魂に従って生きる事がスピリチュアルです。
宇宙や自然の流れに沿って。心と体の感覚を目覚めさせ、魂からの輝きを取り戻した沢山の人達で
いっぱいになるのが私の目標です。